沖縄県立向陽高等学校

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向陽通信第16号 (2016年9月28日 09:05)

県高校生弁論大会優秀賞!
 「はい。私は偽善者です!」3年 網敷 美南海

 あなたには善と偽善の区別がつきますか。善とは正しいこと、偽善とは本心からではなく、うわべをつくろってする善行のことで腹黒さや、ゴマすりという意味も含まれます。

 高校二年の時、倫理の授業で善とは何かという討論をしました。当たり障りのないやりとりの最中、突如私の友人が「私はバスで人が老人に席を譲っているのを見ると、この人は老人を助けたいという気持ちよりも、自分の行動に対して『ありがとう』と行ってもらえる快感の追求が先にきているのではないかと思ってしまう。つまり、その行為は偽善ではないかと思う。」と発言しました。その発言をきっかけに場はいきなりヒ|トアップ。私はその言葉を耳にした瞬間、この人の心は病んでいる。この人こそ誰かの助けが必要ではないのかと思いました。なぜかというと、私自身も席を譲ったことがあったため、この友人の考えを認めるということはすなわち、自分が偽善者であると認めてしまうことになるからです。そんなわけにはいきません。私は偽善者のレッテルをはられるのは嫌でした。だから、この発言には断固反対し、その日の授業は終わりました。

 それからしばらくたったある日、再び信じられないことが起こったのです。なんと今度は私自身が直接、人から偽善者と言われてしまいました。女子バスケット部の練習においてコビコビ人間のコービーと言われ、ふとした立ち話の流れの中でY先生に「おまえは偽善者だな」と言われてしまったのです。たまたま偶然が重なっただけとはいえ、こうも立て続けに偽善者だと言われてしまうと、もしかしたら自分は本当は偽善者なのかもしれないと思い、不安で考え込むようになりました。私、網敷美南海、射手座、A型、大里出身、趣味はバスケ、嫌いな食べ物はニンジン、好きな食べ物がうどん、そんな私は本当に自分の利益のためだけに人助けをする人間なのか。女バスでの活動として私がしていた朝の清掃活動もただ単に人から良く見られたいという虚栄心からの行動なのか。また、生徒会副会長としての活動や、毎日の何気ないあいさつですらも、先生達に気に入られて内申アップや推薦に有利になるためにやっていたことなのか。そう考えると、自分が最低な人間のような気がして泣きたくなりました。

 でも、私の心の声は私にこう語りかけるのです。ちょっと待て、ちょっと待ってよ美南海。少し別の角度から視点を変えて考えてみよう。そもそも偽善って悪いものでしょうか。本心ではないことをつくろってする善行と言われれば確かに悪く聞こえますが、清掃や生徒会活動、あいさつ、それ自体は良い行い・・・、ですよね。

 最近起こった熊本地震直後に現地にボランテイア活動をしに行った芸能人が売名行為だとネットでたたかれているというニュースを見ました。彼らが百パーセント純粋なる人助けの心だけでボランテイアをしに行ったかどうか、と言われると私には分かりません。しかし、もし人助け以外の意図があったとしても被災地の方が助けられたのは紛れもない事実です。なぜ、彼らは非難されるのでしょうか。テレビのコメンテーターはこんな事を話していました。ボランティア活動をしている人に非難が向けられるのは、自分も人のために活動したいが時間や費用の関係で出来ないことに対する人々の無力感やもどかしさが、実際に社会貢献をすることができる人達に対して八つ当たりのような敵意として向けられているのだと。納得です。

 かし私は、例えそれが偽善だったとしても、善人ぶって人の行動を批判するだけで何もしていない人よりは断然良いと思うのです。日本では、ちょっと目立った行動をとると、偽善者だのでしゃばりだの計算だの言われる風潮がありますが、その風潮が良くないのではないかと私は考えます。実際に頑張っている人が批判されない風潮が社会全体に広がれば人はもっと周りの目を気にせず善行をするようになり、より良い助け合いの社会が生まれるはずです。この作文を書いているとき、私はふと思いました。あれ?良い行いをして偽善者と言われるのなら、マザーテレサは偽善者の中の偽善者。まさに偽善者界のトップなのではないか。だとしたら、これほど心強い味方はいません。彼女が残した名言の中にこのテーマにピッタリのものがありました。「人に優しくすると、人はあなたに何か隠された動機があるはずだ、と非難するかもしれません。それでもあなたは人に優しくしなさい。」「やらない善よりやる偽善」私は偽善って素敵だと感じるようになりました。今日からは「私は偽善者です!」と胸を張って言えそうです。

 偽善者と呼びたければ呼んで下さい。私はこれからも年寄りに席を譲ります。

 偽善者と呼びたければ呼んで下さい。私はこれからも元気よくあいさつをします。

 偽善者と呼びたければ呼んで下さい。私には将来、国境なき医師団として発展途上国の子どもを救いたい、という夢があります。

 偽善者と呼びたければ呼んで下さい。(終)

第40回県高校総合文化祭の弁論部門大会が9月6・7日の両日、浦添市てだこホールで開かれ県内高校生51名が参加、網敷さんは全体の2位相当の優秀賞を受賞した。